小さいことは決して小さくない。小さく見える言動や習慣は、特にそうだ。ちりも積もれば山となるレベルをはるかに超える。言動と習慣による結果は正比例せず、Jカーブなどでさらにドラマチックに変わる。さらに、さまざまな部分に人生の全般的な部分に大きな影響を与える。小さく些細だと、大したことないと思えるかもしれないが、決して小さくない。むしろ巨大だ。
日常的ゆえに影響が小さいと思われたり、体感しにくいかもしれない。しかし、さまざまな部分に大きな影響を与えており、繰り返され蓄積されるほど、とてつもない影響を与える。ただ、私たちが意識したり、体感できないだけ。
私たちは意識できるレベルでそれらを認知し、体感できるレベルで何かについて価値判断をする。 実際には、私たちの無意識に様々なものが積み重なり蓄積されている。
運動する習慣、読書する習慣だけでもそうだ。体が露になるほどよくなったとか、とてつもない成功を収めたのではない限り、軽視しがちだ。1冊の本を読んだからといって、世の真理を悟り、すべての人間関係がよくなり、事業的成功を収めることはできない。運動も、少ししたからといって、すぐに体がものすごくよくなり、体力が劇的に向上するわけではない。
しかし、確かに知らず知らずのうちに、私たちの思考様式、態度、価値観を少しずつ変え、思考力、認知能力、コンディション、自信、表情、運動遂行能力、筋力、挑戦精神など、多くの部分に影響を与える。1つか2つの目的で行った行動が、多方面に良い影響を与えるのだ。運動した人のBefore/Afterを見ると、単に体だけでなく、人の印象から、何かの良いエネルギーなど、多くのものが現れるほど変わっている。
筆写、文章作成、日記などもそうだ。筆写したペーパー、文章を書いたノートやブログの投稿、記録などの結果も残るが、筆写をしながら、もう一度重要な文章を想起し、様々なものを無意識に刻み込む。
文章作成は、単なる思考整理以上に多くのことについて考え、思考能力から表現能力、語彙、自分自身の価値観、哲学などを築き、強固にするなどの影響を与えることができる。日記を書くことも、単なる記録の意味を超え、自分の感情状態を振り返り、様々な出来事をもう一度見直すなど、多くの派生効果を生み出す。また、解釈する過程で、無意識的に感情と思考がさらに強化されることもある。
このように、小さければ小さい行動が、表面的に得られる結果以上に、はるかに大きな意味と影響力を持つ。
個人的な次元以外にも、小さいことはとてつもなく大きな影響を与える。ごく小さなCSの方針であっても、それはCSマインド、事業サービスマインドなど、従業員が顧客を扱い、考える方式と態度に影響を与える。小さな方針と規定一つが、単にいくつかのケースを処理するだけでなく、無意識の中で何かの文脈を形成し、どうすればよいかなどに影響を与えるのだ。だからこそ、逆に小さなことを覗き込むと、多くのことがわかることもある。
小さいことは決して小さくなく、多方面で様々な部分に影響を与えるが、否定的なことも同様だ。割れた窓の法則のように、1つの悪い行動は簡単に他の行動につながる可能性がある。ドミノのように、さらに悪い言動につながり、継続的に否定的な影響が大きくなり、奈落の底に落ちてしまいやすい。
日常の些細なこととしては、たった1つだけ見ようとしたYouTubeショートが、10個、20個、フル動画へと続き、1日の計画を台無しにすることもある。
このように、小さな言動と習慣は非常に非常に大きく重要である。正比例せず、Jカーブなどで、考え以上にずっと大きな影響を与えたり、考えていた以上にずっと多様なものに影響を与えたりもする。小さな言動と習慣によって、どこかにスノーボールが転がっているのだ。
だからこそ、小さなこと一つ一つを大切に考え、良い方向に変えていけば、期待以上のとてつもなく良い変化が生まれるだろう。そして、小さいことだと等閑視すれば、考え以上に多くの部分が台無しになる可能性もあるだろう。
人生は、小さく些細だと思われる言動と習慣をどれだけ気にするかによって大きく変わるのではないだろうか。 そして確かに、言動と習慣以外にも、小さくとも巨大なものは十分に多く存在するだろう。
小さいことは決して小さくない。むしろ巨大だ。
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